『蝶々を追って(Chasing the Butterfly)』 

 
「1903年春、エドヴァルド・グリーグ Edvard Grieg(1843–1907) はパリの Gramophone & Typewriter 社スタジオで自作のピアノ曲を録音した。《トロールハウゲンの婚礼の日》にはじまる7つの小品とソナタの2つの楽章。10インチのディスク9枚、約15分の音楽がグリーグ自身の演奏の記録として残された……」。
 
ノルウェーがスウェーデンとの連合王国を解消してから100年の記念の年を翌年に控えた2004年、Simax Records は、ノルウェー音楽を代表する管弦楽作品を集めたアルバムに収めるためグリーグの《ピアノ協奏曲》を録音しました。オスロ・フィルハーモニックと共演するピアニストにはシーグル・スロッテブレク  Sigurd Slåttebrekk(1968–)が選ばれ、トニー・ハリソン Tony Harrison が制作にあたりました。もっとも演奏されることの多いピアノ協奏曲と言われるグリーグの作品は、おびただしい数の録音が存在します。その「有名曲」と取り組むにあたり、スロッテブレクとハリソンのふたりは、グリーグの協奏曲が「今の音楽」だったころの感覚を探り、作品に新鮮な空気を送り込むことを考えました。そのため録音は、1908年にパーシー・グレインジャーが作ったカデンツァとグリーグ自身が録音した小曲の録音(Simax PSC 1809)を重要な資料にして進められていきました。
 
協奏曲の録音を終えた後、スロッテブレクとハリソンは、ある疑問を抱きました。グリーグの演奏の速いテンポは、78回転レコードの収録時間の制約によるものなのか。それとも、ベートーヴェンの友人、モーシェレスに学んだグリーグのロマンティックな様式がそのまま録音盤に刻まれているのか。アコースティック録音の表面雑音の壁の向こうにあるもの、それ以上に重要な、グリーグの演奏そのものに隠されたミステリーの鍵を開ける。スロッテブレクとハリソンの新たなプロジェクトが始まりました。スロッテブレクが述懐します。「ピアノ協奏曲の録音作業をやり遂げた時、それが始まりになろうとはほとんど思いもしなかった」。
 
『グリーグの1903年録音の再創造とその彼方…(Chasing the Buttefly - recreating Grieg's 1903 recordings and beyond…)』。このプロジェクトに使われたのは、グリーグ博物館となったトロールハウゲンのグリーグ夫妻の家に置かれている1892年製のスタインウェイ。1892年、銀婚式を迎えたグリーグ夫妻に贈られたピアノです。「模倣することで理解する、理解することで模倣する」。グリーグの録音を聴き、その演奏の再現を試みる。それを繰り返しているうちにグリーグの演奏のパターンが見えてくる。2009年3月14日、プロジェクトのすべての録音が終わりました。
 
このアルバムは、2枚のディスクで構成されています。「Disc 1」に収録されているのが、スロッテブレクの演奏する7つの小品と《ピアノソナタ》の2楽章、グリーグの演奏を分析することから学んだ語法とスタイルで演奏された《ソナタ》の全4楽章と《バラード ト短調》、グリーグの9曲のオリジナル録音、ふたりの録音を交互に編集した《トロールハウゲンの婚礼の日》、そして、EMI が1903年の録音を1930年代に再リリースした《春に寄す》をトロールハウゲン所蔵の蓄音機で再生した復刻録音です。そして「Disc 2」に、「すべての始まりとなった」アルバム『ノルウェーの心の故郷』(PSC 1260X)の《ピアノ協奏曲》の録音が収められました。
 
シーグル・スロッテブレクは、オスロのノルウェー国立音楽大学、ジュリアード音楽学校、ハノーファーの音楽演劇大学で学び、ベルリン、ロンドン、パリでコンサートを行い、各国のオーケストラに客演してきました。トニー・ハリソンはイギリス生まれ。1986年に EMI に採用され、78回転レコードと初期テープ録音の復元作業からキャリアをスタートさせました。アンスネスの Virgin Classics と EMI への録音を担当。プロデューサーとして国際的に活動するようになってからは、著名な演奏家たちの録音に携わり、国際的な賞を多数獲得しました。ベルゲン在住。ハリソンは指揮者としての顔ももっています。スロッテブレクとの共同作業は、『ラヴェル』(PSC 1112)(《高雅にして感傷的なワルツ》《夜のガスパール》ほか)と『シューマン』(PSC 1215)(《謝肉祭》《クライスレリアーナ》《アラベスク》) が最初でした。
 
ピアニストとプロデューサーが「捕らえるためではなく学ぶために蝶々を追った」プロジェクトは、その詳しい内容がブックレットに書かれています(英語、ノルウェー語)。
 
トニー・ハリソンは、2021年9月4日、55歳で亡くなりました。かなりの波紋を広げた『蝶々を追って』につづき、グスタフ・マーラーがピアノロールに残した演奏に基く彼の管弦楽曲の演奏という、20世紀という時を経る間に失われてしまった演奏スタイルに光を当てるプロジェクトが、実現しないまま残されました。
 
Simax PSC 1299 2CD's 『蝶々を追って(Chasing the Buttefly)』
エドヴァルド・グリーグ(1843–1907)
[Disc 1]
 トロールハウゲンの婚礼の日(Bryllupsdag på Troldhaugen) Op.65 no.6
 (抒情小曲集 第8集)
 ピアノソナタ ホ短調 Op.7 - 第3楽章 アラ・メヌエット(Alla menuetto)
  第4楽章 終曲(Finale)(短縮)
 春に寄す(Til våren) Op.43 no.6(抒情小曲集 第3集)
 ガンガル(Gangar) Op.54 no.2(抒情小曲集 第5集)
 蝶々(Sommerfugl) Op.43 no.1(抒情小曲集 第3集)
 テンポ・ディ・メヌエット・エド・エネルジーコ
 (Tempo di menuetto ed energico) Op.6 no.2
 (ユモレスク(Humoresker))
 婚礼の行列が通り過ぎる(Brudeføget drager forbi) Op.19 no.2
 (人々の暮らしの情景(Folkelivsbilleder))
 余韻(Efterklang) Op.71 no.7(抒情小曲集 第10集)
 ピアノソナタ ホ短調 Op.7
 ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード
 (Ballade i form av variasjoner over en norsk folketone) ト短調 Op.24
  シーグル・スロッテブレク(ピアノ)
 [楽器 Piano: Grieg’s Steinway, 1892, Troldhaugen]
 [録音 2007年10月、11月、2009年3月10日-14日 トロールハウゲン(ベルゲン、ノルウェー)]
 トロールハウゲンの婚礼の日 Op.65 no.6
 ピアノソナタ ホ短調 Op.7 - 第3楽章 アラ・メヌエット
  第4楽章 終曲(短縮)
 春に寄す Op.43 no.6 ガンガル Op.54 no.2 蝶々 Op.43 no.1
 テンポ・ディ・メヌエット・エド・エネルジーコ Op.6 no.2
 婚礼の行列が通り過ぎる Op.19- no.2 余韻 Op.71 no.7
  エドヴァルド・グリーグ(ピアノ)
 [録音 1903年4月 Gramophone & Typewriter Company studios(パリ)]
 [Dpg CG35509–35515(SP)/PSC 1809]
 トロールハウゲンの婚礼の日 Op.65 no.6
  シーグル・スロッテブレク(ピアノ)
  エドヴァルド・グリーグ(ピアノ)
 [1903年録音と2008年録音の編集版]
 春に寄す Op.43 no.6
  エドヴァルド・グリーグ(ピアノ)
 [1930年代 EMI 復刻の1903年録音をトロールハウゲンのセルビ・ホーン式蓄音機で再生]
[Disc 2]
 ピアノ協奏曲 イ短調 Op.16
  シーグル・スロッテブレク(ピアノ)
  オスロ・フィルハーモニック管弦楽団 ミハイル・ユロフスキー(指揮)
 [録音 2004年8月12日–13日 オスロ・コンサートホール(オスロ)]
 [PSC 1260X]
 
芸術監督 シーグル・スロッテブレク、トニー・ハリソン
録音 ジェフ・マイルズ、トニー・ハリソン
編集 トニー・ハリソン
ミクシング トニー・ハリソン、ジェフ・マイルズ
 
価格 5,390円(税込価格)(本体価格 4,900円)
 
[2011年1月の Newsletter の文章を加筆修正して掲載しました] 

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