『空と花と一羽のひばり』

 
暗く寒い冬がすぎ、春がやってくる。人びとが春に寄せる想いは、多くの曲となって北欧音楽を彩ってきました。とりわけ豊かなジャンルが合唱曲です。春と夏を題材にした曲ばかりを集めたディスクも、「OD(オルフェイ・ドレンガル)」の『春が来た』(BIS CD 833) やエベ・モンク Ebbe Munk 指揮の「ヴォックス・ダニカ Vox Danica」の『デンマークの夏の歌』(Danica DCD 8155)をはじめ、数多く作られています。
 
この季節を歌った作品がいかにたくさん書かれているかということは、スウェーデンのワーナー・チャペル Warner/Chappell Music Scandinavia が2000年に出版した混声合唱曲の楽譜集『Vårkören(春の合唱)』を見てもわかります。この曲集には、クレース・アーヴ・イェイエルスタム Claes af Geijerstam(1943“)の《一羽の鳥がとまっている(Det sitter en fågel)》やダーヴィド・ヴィーカンデル David Wikander(1884-1955)の《早春の夕べ(Förvårskväll)》以下、新旧取りまぜ、100曲を超える歌が収められています。代表的な春の歌、ペッテション=ベリエル Wilhelm Peterson-Berger(1867-1942)の《春の歌 (Vårsång)》やグスタフ王子 Prins Gustaf(1827-1952)が書いた《学生の歌(Studentsång)》も、しっかり入っています。
 
このアンソロジーのためにいくつかの歌を書き下ろした作曲家のひとりに、ニルス・リンドベリ Nils Lindberg (1933–)がいます。スウェーデンのダーラナ地方の出身で、オルガン曲や20世紀スウェーデンの代表的な《レクイエム》のひとつを作曲したオスカル・リンドベリ Oskar Lindberg (1887-1955)の甥にあたります。
 
ニルス・リンドベリの作品の特徴のひとつは音楽がきわめて直截的なこと。まわりくどい表現がないので、彼が感じたことが聴き手の心にストレートに伝わってきます。その理由として言われるのが、民俗音楽 -- 彼の場合はダーラナ地方の -- から大きな影響を受けていることです。ダーラナといえば民謡の宝庫のひとつ。アルヴェーン Hugo Alfvén(1872-1960)は、この地方の民謡を素材にしてスウェーデン・ラプソディ第3番 《ダーラナ・ラプソディ(Dalarapsodi)》 を書きました。
 
さらにニルスの音楽を特色あるものにしているのが、ストックホルムの王立音楽大学でラーション Lars-Erik Larsson(1908-1986)とブルムダール Karl-Birger Blomdahl(1916-1968)の下で学んだクラシカル音楽の形式や和声、そしてジャズのリズムと即興性です。ジャズとの出会いは、在学中、友人のひとりがニルスに内緒で参加申し込みをしたストックホルムのジャズクラブ「ナーレン(Nalen)」のジャムセッションだったと言います。これをきっかけにニルスはジャズと深く関わり合うようになっていきました。これらの要素がうまく調和しているのがニルス・リンドベリの音楽。そう言っても、それほど乱暴ではないはずです。
 
ジャズミュージシャンとして、そして作曲家として活動をつづけるニルス・リンドベリの作品には独特の魅力があります。たとえば、独唱と合唱とジャズアンサンブルのための《レクイエム》(Phono Suecia PSCD 78)。叔父さんのオスカルが聴いたら、「困った甥だ!」と苦笑いしたかもしれない作品です。しかし、「旋律を書ける」という才能のおかげで、「ジャズ風」という言葉から想像するよりはずっとまとまりのいい音楽になっています。エリザベス朝のソネットをテクストにした合唱曲集にはジャズ版(Bluebell ABCD 032)とクラシカル版があって、それぞれが違った味わいのある音楽になっているのは、さすがニルス・リンドベリです。
 
ニルス・リンドベリが合唱のために書いた作品を集めた Proprius のディスクにも彼の多才さが発揮されています。とても楽しいアルバムです。最初の7曲は、リンドベリがダーラナ地方の民謡を編曲したものです。《判事の踊り(Domaredansen)》をオット・オールソン Otto Olsson(1879-1964) が男声合唱用に編曲した作品とくらべると、シンコペーションの巧みな使い方などにニルス・リンドベリの音楽の新しさを見ることができます。《うるわしき水晶(Kristallen den fina)》もいくつかの編曲があり、比較するおもしろさがあります。《すべて天空のもとに(Allt under himmelens fäste)》は、スヴェンセン Johan Svendsen(1840-1911)の《2つのスウェーデン民謡》(Op.27)の第1曲としても有名です。
 
レッド・ミッチェル Red Mitchell の《As You Are》は、まずジャズ・アンサンブルによる版で、その後、合唱が清々しいムードあふれる音楽を聴かせる趣向で演奏されます。アカペラ合唱のための《A Love Supreme》は、コルトレーン John Coltrane が書いたテーマがイントロ部分に引用されるにとどまっているため、曲そのものはニルス・リンドベリのオリジナルと考えられます。リンドベリ自身が書いた神を賛美する内容のテクストにそった、聖歌とジャズの和声進行が交差する音楽は独特です。次の、ルーネ・リンドストレム Rune Lindström の詩に作曲した《マーリットの歌(Marits visa)》は、まるで民謡かと錯覚するような、澄み切った響きの素朴な歌です。
 
つづく5曲はすべて、合唱曲コレクション『Vårkören』のために作曲されました。ジャズのイディオムももった新しい響きのなかに、スウェーデン伝統の抒情詩の遺産が感じられ、ニルス・リンドベリが現代スウェーデンを代表する合唱曲作家のひとりと呼ばれるのも当然だと思われます。《ヴォカリーズ(Vocalise)》では、合唱をバックに、マーガレータ・ヤルケーウス Margareta Jalkéus のヴォーカルとアンデシュ・パウルソン Anders Paulsson のソプラノ・サクソフォーンが対話。ジャズの即興性を活かした躍動する音楽になっています。
 
《夏の牧舎の古い賛美歌(Handkarta(Gammal fäbodpsalm))》は、オスカル・リンドベリがオルガンのために編曲した《ダーラナの昔の賛美歌》でもっぱら知られる民謡です。この民謡は、ニルスも以前、《7枚のダーラナの絵(7 Dalmålningar)》の1曲として使ったことがあります(夏の牧舎の古い賛美歌をめぐる思考(Funderingar kring Gammal fädbodpsalm))。今回はフリッツ・シェーストレム Fritz Sjöström にテクストを依頼、新たな
編曲を行いました。メランコリックな気分がたまらない、という合唱ファンも出てくるでしょう。
 
最後の曲は、4つの部分からなる約17分の大作です。旧約聖書の『雅歌 (Höga visan/Song of Solomon(Song of Songs))』をテクストに、混声合唱とジャズ・トリオ(ソプラノ・サクソフォーン、ベース、ピアノ)が「官能の愛」を歌いあげます。ニルス・リンドベリの音楽のエッセンスが結晶した、インスピレーションの湧くがままのアレンジとアドリブが創りだす世界は、蠱惑的とまで呼びたい魅力をもっています。ここでピアノを弾いているのはニルス・リンドベリ自身です。
 
ニルス・リンドベリの音楽の最良の理解者といわれる指揮者のグスタフ・シェークヴィスト Gustaf Sjökvist(1943–) は、リンドベリの作品の演奏を数多く手がけています。彼は、王立ストックホルム音楽大学でエーリク・エーリクソン Eric Ericson に合唱指揮、その後シクステン・エールリング Sixten Ehrling とカール・ミュンヒンガーのもとでオーケストラの指揮を学びました。1967年からストックホルム大聖堂の合唱指揮者。1986年から1994年にかけてはスウェーデン放送合唱団の首席指揮者も務めました。バイエルン放送合唱団の首席客演指揮者、あるいはグスタフ・シェークヴィスト室内合唱団 Gustaf Sjökvist Kammarkör を率いてのアメリカ・ツアーなど、国外での活動も精力的に行っています。このディスクでも、さまざまな要素を敏感に感じとった柔軟な指揮ぶりで、作品をしっかりとまとめ上げています。ジャズ的ムードの表現も自然。おかげで、ニルス・リンドベリの音楽が自由に呼吸している様子が感じられます。
 
このディスクのほとんどの曲は1999年7月にダーラナのイェーナ教会 Järna Kyrka で録音され、《A Love Supreme》と《雅歌》、そして《As Your Are》のサクソフォーン・パートは、1999年12月3日にストックホルム大聖堂 Storkyrka でのコンサートのライヴ音源が使われています。《ヴォカリーズ》だけは、2001年9月28日に大聖堂で録音セッションが行われました。ホーカン・シェーグレーン Håkan Sjögren とニルス・リンドベリが共同で制作にあたっています。気分を変えて、新鮮な感覚の合唱音楽を聴きたいというときには最高のアルバムでしょう。
 
Proprius PRCD 2011
 『空と花と一羽のひばり(The Sky, the flower and a lark)』
ニルス・リンドベリ(1933–) 合唱作品集
民謡 (ニルス・リンドベリ(1933–) 編曲)
 愉快に踊ろう(Vi ska ställa te' en rolinger dans)
 素敵な夏に(Om sommaren sköna)
 水の精のポルスカ(Näckens polska)
 すべて天空のもとに(Allt under himmelens fäste)
 一度ぼくと並んで(En gång i bredd med mig)
 うるわしき水晶(Kristallen den fina) 判事の踊り(Domaredansen)
 夏の牧舎の古い賛美歌(Handkarta (Gammal fäbodpsalm))
レッド・ミッチェル(1927–1992)(ニルス・リンドベリ(1933–) 編曲)
 As You Are
ジョン・コルトーレン(1926–1967)/ニルス・リンドベリ(1933–)
 A Love Supreme
ニルス・リンドベリ(1933–)
 マーリットの歌(Marits visa) ひばり(Lärken) 夏(Sommaren)
 ある春の小品(Ett vårstycke)
 だが彼女が休息するとき(Men när hon vilar)
 空と花と一羽のひばり(Skyn, blomman och en lärke)
 ヴォカリーズ(Vocalise) 雅歌(Höga visan)
  グスタフ・シェークヴィスト室内合唱団
  グスタフ・シェークヴィスト(指揮)
  ニルス・リンドベリ(ピアノ)
  マーガレータ・ヤルケーウス(ヴォーカル)
  アンデシュ・パウルソン (ソプラノ・サクソフォーン)
  ハンス・オーケソン(アルト・サクソフォーン)
  クリステル・アンデション(テナー・サクソフォーン)
  ヨアキム・ミルデル (テナー・サクソフォーン)
  ペーテル・グリン (バリトン・サクソフォーン)
  ヤン・アーデフェルト(ベース)
  ベンクト・スターク(ドラム)
 
録音 1999年7月1日、5日 イェーナ教会(ダーラ・イェーナ、スウェーデン)、1999年12月3日 ストックホルム大聖堂(ライヴ)、2001年9月28日 ストックホルム大聖堂(ストックホルム)
制作 ホーカン・シェーグレーン、ニルス・リンドベリ
 
価格 2,365円(税込価格)(本体価格 2,150円)
 
[2002年3月の Newsletter の文章を加筆修正して掲載しました] 

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